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華道家元池坊

池坊は、日本最大最古のいけばな流派。およそ1400年前、聖徳太子が建立したと伝えら
れる六角堂の池のほとりに住まいする僧侶が、朝夕に仏前へ花を献じていました。室町
時代末その花の精神性が高められ、華道へと昇華。人々の心を捉えました。以降、今日
まで池坊の花は師から弟子へ、そしてそのまた弟子へと伝えられ、いけばなの根源、華
道の家元として、活躍しています。





六角堂のこと


写真 京都のオフィス街の真ん中に、六角形の屋根を持つ
お寺「六角堂」があります。正式には「紫雲山頂法
寺」といいこのお寺は西国三十三所の一つに数え
られているため、観光客や巡礼者が絶えず訪れ、ま
た市民の憩いの場としても親しまれています。そん
な六角堂のもう一つの顔が「いけばな発祥の地」で
す。

今日、様々ないけばな流派が存在しますが、ここ六
角堂がすべての出発点といわれ、この六角堂の池の
ほとりにあった「池坊」によって、いけばなという
伝統文化がスタートしました。

寺伝によりますと、創建は聖徳太子。
太子が四天王寺を建立するために、材を求めてこの
地を訪れた時、池を見つけました。そこで、太子は
持仏である如意輪観世音菩薩を木に掛けて沐浴をし
ました。そして、さあ出かけようとした時、掛けて
あった持仏が動きません。仕方なく太子はそこに一
泊することにしました。


写真 するとその夜、太子の夢に如意輪観世音菩薩が現れ
、この地にとどまって、みんなを救いたいと告げた
のです。眠りから覚めた太子は、さっそく夢のお告
げをかなえるべく、持仏を安置するためのお堂を建
てようと考えました。とその時、一人の老女がやっ
てきました。太子はこの老女に、お堂建立に適した
材はありませんか、と尋ねたところ、近くに紫雲に
覆われた杉の木があるといいます。太子が辺りを探
すと老女のいう木があったので、さっそくその木を
用いて小堂をつくり、本尊を安置しました。
これが六角堂の始まりといいます。

歴史的に正しいかはともかく、この言い伝えを信じ
て、太子信仰から六角堂を訪れる人は昔から後を絶
ちません。さかのぼれば、平安時代の貴族の日記に
も六角堂参拝の記事が見られます。また、六角堂に
はもう一つ不思議なお話があります。それは、平安
京造営の際、路の整備を進めるうち、六角堂がどう
しても路の真ん中にきてしまうことに。そこで六角
堂の移動について考えあぐねていると、黒雲がたち
こめ、お堂が五丈程北へ動いたといいます。

境内に「へそ石」と言われる、"京都の真ん中"があ
りますが、この石は、六角堂が北に動いた際に残っ
た、お堂の礎石といわれています。



いけばなのこと


写真 いけばなは室町時代後期に誕生したといわれていま
す。では、それ以前にいけばなは無かったのでしょ
うか。いけばな=花を瓶に挿す事という点では、平
安時代の絵巻物にも描かれていますし、さらに仏教
が伝来した時に、仏様への功徳として「献花」の風
習も入ってきています。ただし、伝統文化として、
後世に伝えられるべき精神性をもついけばな、つま
り華道が成立したのは、書院造という環境と、それ
まで時代と共に培われてきた美意識があってのこと
でした。

当時、室町幕府お抱えの芸術集団に「同朋衆」と呼
ばれる集団がいました。彼らは「〜阿弥」と名乗っ
ていたため、「阿弥衆」とも呼ばれていました。

同朋衆は、中国からやってきた調度品の飾り方など
を取り決め、仏前に供える香炉、花瓶、燭台の三具
足の並べ方なども定めました。その中で、花瓶に立
てる花についてもさまざまな約束事を作りました。
ただ、それは座敷を飾る花として考えられており、
季節の花を取り合わせて、周りの調度品とバランス
を取るように、形を定めたものでした。

写真 こうした形式的な花に対して異を唱えた人物がいま
す。それが池坊専応(せんおう)という、六角堂の
僧侶でした。池坊という名は、聖徳太子が沐浴した
と伝えられる、六角堂の池のほとりに坊(住居)を
構えていたところから称されるようになり、いつの
ころからか代々、六角堂の本尊、如意輪観世音菩薩
に供える花を扱ってきたと考えられています。

専応以前にも、池坊には花の上手な人がおり、公家
や僧侶の日記にその活躍ぶりが記されています。ち
なみに、記録上初めて現れたのは池坊専慶で、彼も
また花が上手だったといいます。

さて、専応は同朋衆の定めた形式的な花に対して、
どのような異を唱えたのでしょう? それは「専応
口伝」と呼ばれる伝書の序文に記されています。内
容を簡単にいいますと、

花瓶に花を挿すことは昔からあるけれど、それは花
の美しい側面だけを評価して、草木の風興を考えず
写真 に、ただ挿しているだけだ……
池坊は野山水辺の自然な姿をいけ表し、花葉を飾っ
て、それらの一番良い表情を持つ部分を基本として
いる……
池坊の花は、少ない水と小さな木などで、大自然の
様子を表し、わずかな時間の中に、千変万化の時の
移り変わりを感じさせる……

いけばなをする人は、草木を見て心を伸び伸びとさ
せ、春秋の移り変わりをしみじみと感じ、一時の楽
しみというのではなく、花を飛ばし、葉を落とす風
を感じて、自然の姿に悟りのきっかけをも得ること
ができると、あります。

ここに、形だけではなく、花をいけるということに
は、心が備わるものであるということを主張し、い
けばなは、道として華道に昇華しました。
以降今日まで、その精神性は受け継がれています。
「いけばな発祥の地」と言われるのは、六角堂の僧
によって華道の精神性が唱えられ、またそれを表現
するための理論がまとめられていったことに由来し
ます。

写真、文章は日本華道社より提供




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